量子力学は言う
物質は私たちが長い間そうであると思っていたものではないようです。
科学者にとって物質は長らく究極的なものだと考えられてきました。
それは静的で予測可能なものであると。
すべての原子と分子内。そしてその空間の中で素粒子は非常に小さな体積しかない基礎的な粒子です。残りは真空です。
”起きている”と思われていることは、素粒子が出現と消滅を繰り返していることなのです。
”時間の方向の謎”と呼ばれる大きな謎があります。
それは、過去と未来です。
なぜ、私たちは過去は思い出せるが未来に対して同じ認識方法は持たないのでしょうか?
なぜ、いま行動を起こすと過去ではなく未来に影響を与えるのでしょうか?
それはつまり、私たちが過去と未来に違った認識方法を持っているということ。
違った種類のコントロールを持っているということです。
これは私たちが世界を経験する基本的な仕方なのです。
実際、宇宙の大部分はカラなんです。
私たちは空間はカラで物質は硬いと考えたがります。
けれども本来物質は全くの嘘なんです。
それは完全に実体がありません。
原子を見てください。
私たちは始めそれを硬いボールであると考えていました。
次にそれは、内へ外へと弾ける電子のある種ふんわりした蓋然性の雲に囲まれ、中心にごく小さな高密度の点があるものだと考えました。
けれども、それさえも全く正しくないということが分かってきました。
私たちが高密度だと考える核さえ、文字どうり電子がするのと同じくらい難なく内へ外へと弾けているのです。
物質とは、
このすべての実体のないものとは、
それは考えの様なもの。凝縮された情報の欠片のようなものです。
”物”を作り上げるのはより多くの”物”ではありません。
”物”を作り上げるのは考え、概念、情報です。
私たちが時間の中を前に向かっているようなことは、実は単に意識的な概念に過ぎません。
量子論では時間を後方に進むこともできます。
あなたが見ていない時それは波のようで、あなたが見ている時それは粒子のようになります。
言い換えると、あなたが見ていない時可能性の波があります。
あなたが見ているとき経験できる粒子があります。
私たちが硬いものだと考える粒子は”superposition”と呼ばれる状態で存在しています。
それは可能な場に広がった波で偏在しているのです。
そしてあなたがそれを見た瞬間、可能な位置から瞬時にそこに現れるのです。
量子の“superposition”とは素粒子が複数の場所に同時に存在していることを意味しています。
どうしたら、世界や物体が同時に複数の状態で在ることができるのでしょう?
簡単なことです。
物体を個体だと考えなければいいんです。
私たちは周りは既に私たちの考えや選択なしで存在していると思う癖があります。
私とは無関係に世界はそこに既に存在すると思い込んでいます。
でもその考えは捨て去らなければなりません。
椅子、テーブル、部屋、カーペット。みな意識の産物で一瞬一瞬選択し続けているのです。
発現させた環境の中で実際に経験するために。
量子物理学はそれを明確にしてきました。
ハイゼンベルク(量子物理学の創始者の一人)はこう言っています。
原子は物質ではない。ただの傾向に過ぎないのだと...。
実態を考える代わりに可能性を考えなければいけません。
それらはすべて意識の可能性なのです。
いま、アメリカでは多数の研究所で実際に見ることができます。
肉眼で観察できるほどの大きさの物体が、二か所に同時に存在します。
それは同じ物なんです。
人々がそれを本当に信じるかどうかは分かりません。
このことがとても神秘的でどんなに素晴らしいかさえ理解することができないかもしれません。
”オー、だからそれはどういう意味なんだ?”
同じ物体が二か所に同時に存在していることの意味を考えること自体意味がないのです。
なぜなら、人々が研究室で下手にいじくり回し、腹を立て、それから昼食を食べ、家に帰り彼らの生活を送る...。
何一つ仰天することなど起こってないかのように生活してゆく...。
それこそが、あなたが取り組まなければいけないことなんです。
あなたのほんの目の前に驚くべきマジックがあるんです。
つづく
https://vimeo.com/172736754 から転載